映画「モロッコ、彼女たちの朝」を観た。
イスラム教の国の閉鎖性は、妊娠した未婚女性にとっては生きにくい社会だろうとつくづく思った。
大きなお腹を抱えて仕事を探し歩く主人公の女性サミア。未婚で子供を妊娠したので故郷の村を出てきたらしい。泊まる場所だってない。この女性を自分の家に招き入れたのが事故で夫を亡くし、パンを売りながら娘を一人で育てているシングルの女性アブラだ。カメラは彼女たちの日常を淡々と描く。
モロッコはイスラム教の国だから、結婚前に子供を妊娠すれば当然白い目で見られ村八分にされる。婚外交渉と中絶は禁止の国だ。
主人公の女性も女一人で子供を産んでも幸せになれないことが分かっているから養子に出すと映画の中で言っている。
モロッコでは女の人は夫や家族に守られているのが幸せ。そういう風に考えている人は多いと思う。一人で自立して暮らす女の人もいるだろうけど、さぞ居心地が悪いのではと想像される。
この国を旅行した時、駅のホームで乗り換えの電車を待っている時、すれ違った女の人の視線がすごく気になった。その人の目は私を見て「ああ可哀想に。たった一人で旅行をしているなんて…」 そんな視線で私を見ていて、ご丁寧にもう一度振り返って私を一瞥した。ちょっと大袈裟かもしれないけど、サミアに向けられる女たちの視線と私に向けられた視線が重なった。
パーカとジーンズの私はお世辞にも綺麗な格好をしているとは言えず、むしろ小汚い印象だったのだろう。お金を持ってないのにたった一人で外国を旅してるなんて… そんなふうに思われたのかもしれない。タクシーの運転手さんに「あんたは男を探しにモロッコに来たのか?」そんな風に聞かれたこともある。
同じアフリカでもサハラ以南のブラックアフリカの国に旅した時には、一人でフラフラしていてもこういう女の人の視線に合うことはなかった。湿り気がないというかカラっとした印象で、私なんかの事はどうでもいいのだ。(悪い意味じゃなくて)
この違いは宗教からくるのか、民族性からくるのか分からないけどとても興味がある。今後考えていきたいテーマだ。
最近はよく「多様性」と言う言葉を聞くけど、国家が一つの宗教で統制されている時、規則とか価値観から当然はみ出るものがある。そのはみ出たものを掬い上げるようなものがあれば、人はずいぶん生きやすくなるんじゃないかな。
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